弘子さんの昔語り

弘子さん 83歳 昭和29年5月に元 川名村へ嫁いできた。
『川名』は昔『川菜』という地名だった。白菜がよく取れたからではないか。
『川名村』は吹上の曙あたりから八事までの広範囲
漬物屋(成田・稲萬など)がたくさんあった。御器所というと御器所大根が有名だが実際は白菜の方がよく取れていて大根はもう作られていなかった。
『川原神社』は火の神様なので境内には水の神様弁天様も祀られている
『川原神社』のおまつり・・・10/17本社例大祭。【昔のお祭り:木の桶の中に桟俵法師(さんだらぼっち:俵の両端のまるい藁のふた)を伏せて丸餅を入れて上から蓋餅をのせて、オート三輪に乗っけて市中まわり、16時ごろになったら境内で餅投げをした。】
昭和区は牧場も多かった。
昔、市バスは栄から南分4丁目北筋あたりが終点で、その後杁中まで延びた。車掌さんが乗っていた。
名古屋は昔【市電】が走っていた。名古屋駅発桜山(今の博物館・・・当時は市民病院)終点で1町(100mぐらい)歩くと、また別路線の桜山駅がありそこから笠寺まで行っていた。
山崎川は千種区の猫ヶ洞池から続く川で、昔は子どもたちが泳いでいたらしい。
山崎川は昔は今以上に桜の名所だった。
檀渓は山崎川の中州だった。東には南山があり風光明媚なところだった。
隼人池にはざりがにがたくさんいて子供の遊び場だった。
南分の西には『西分』と呼ばれている地域があった。
桜山はとても静かな田園地帯で夜に雨が降ると名港の汽笛が聞こえた。

※ 平成24年7月20日 弘子さんからお話をいただきました。