昔むかしあったんや
加藤豊太さんのお話 2013年7月2日

加藤豊太さん 66歳 昭和22年1月20日 生

公衆浴場【八幡湯】四代目 御器所八幡宮南
八幡湯は創業130年で祖母の親がはじめた。
当初は雑貨商“富士善”が今のスーパーマーケット“御器所バザー”を設立
大繁盛して銭湯も始めた。その後コインランドリーも併設。
明治のころは木造で建設したが焼失し、大正8年に鉄筋コンクリートにし現在に至る。
今も井戸水(注※1)を使い。薪は廃材を焚いている。
八幡湯は1〜3代目までは使用人に任せていたが4代目の豊太さんは高校2年生から管理をしてきた、大学卒業後に数年地方裁判所に勤務していたこともあった。
昭和35年頃は家にテレビのない時代で銭湯のテレビは相撲観戦(注※2)や野球観戦などみんなの交流の場だった。
今は大人¥400 小学生¥150 未就学児¥70

八幡湯の営業時間
15時〜深夜2時 休日は毎月1・2日(二日間)
052-871-2916

以下 加藤豊太さんのお話と蔵書の抜粋です。

元禄時代、荒畑界隈(東郊御器所村)に芝居小屋があり人形浄瑠璃竹本義太夫などが来ていた。
荒畑には《御器所西城址》佐久間家の屋敷があり今は尾陽神社になっている。
子どものころ『天池本通り』に映画館があった。
当時映画館は入るだけ入れ立ち見もOKで鞍馬天狗やゴジラなどとてもにぎわっていた。
郡道には市バスが走っていた。小型のバスだったがすれ違うのがやっとだった。
神社や寺のある場所は高台で低い土地は池や沼があった。
御器所大根は青首大根と白首大根の二種類あった。御器所村・石仏村・藤成村・川名村などで栽培されていた。
御器所三泉と呼ばれる湧水があった。滝子・亀口(浄元寺)(注※3)・北市場。
向陽高校のあたりは広見池があり大正15年頃は名古屋市立商業高校(CA)だった。
吹上という地名は伊吹おろしが御器所台地に向かって吹きぬけていることからできた地名で名古屋坂道の三寒《枳殻坂(きこくさか)・沢の観音の坂・吹上の坂》の一つでもあり、八高(名大)寮歌の「伊吹おろし」のフレーズがある歌碑が鶴舞公園の中にある。
小さい時、鶴舞公園の遊園地の中にサルのおりがあった。また、八幡山古墳で魚のトロ箱に竹を付けて滑って遊んだ。
昭和35年には東山線が名古屋駅から池下まで開通し、加藤さんは市電と地下鉄を乗り継いで愛知高校に通った。

※注1 このあたりは粘土層のため為水は綺麗で井戸が枯れた事はない。
※注2 太平洋戦争後、荒畑界隈には『谷町』があり名古屋場所の時期になると尾陽神社の境内に土俵が張られ二所ノ関部屋が稽古をしていた。稽古の後に力士が八幡湯に入りにきた。こころんのつぶやき第24号《昔あったんや》もご覧ください。
※注3 こころんのつぶやき第10号《ひそかな自慢》もご覧ください。
 
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